2014年5月29日木曜日

おんなのことば Vol.2 少しだけ進んでます...


2011年にVol.1を作成し、
その後のボイスの勉強で、それっきり~になり、
すっかりご無沙汰していた茨木のり子さんの
詩集「おんなのことば」ですが、
後半部分をVol2 として、少しずつ編集しています。
 
すでに全体構成はでき、ざっと録音したものを、
前回音楽をつけてくれたピアニストの友人に作曲を依頼しました。
音楽の方は、NYにいる彼女が帰国してから録音するか、
はたまた、向こうで曲だけを録って送ってもらうか、
というところまで進みました。
 
肝心な詩の方は、何度か自分で録音して聞いて直したり、
人に聞いてもらって直したりと修正を繰り返し...
7月完成を目指しています!
ふぅ~、やっとここまできました。
 
名古屋の方で、いつも車の中でVol.1を聞いていますと
言われた人がいたそうで...
嬉しい限りです。
 
そうそう、
4月に、茨木のり子さんが幼少期を過ごした西尾市に行ってきました。
長閑なよい町でした。
 
明日(530日)は、世田谷文学館で現在開催中の
「茨木のり子展」に行ってきます。
少しインスピレーションをもらってきます。

2014年5月22日木曜日

声区にあるミドルボイスについて

最近のボイスクラスでは、
声の区分「声区」について話す機会がけっこうあります。

裏声とか、地声とか、頭声、胸声とか言われる声の出し方です。
そうそう、日本ではあまり言われない感じですが…
地声の下にまだ、フライというのもあります。

声のピッチを上げていくと声が裏返る地点―
裏声になるところがありますが、
これを「換声点」と言います。
英語でピッチジャンプというところです。
この転換ができるだけわからないように
移行して発声しているのがミドルボイスです。

歌唱にあるこのミドルボイスは、
セリフ廻しではあまり言われません。
そして、むしろセリフでは、
頭声と胸声はクリアに分かれている方が
有効な気がします。

さて、このミドルボイスのつくり方ですが、
少なくとも二通りはあると思われます。
地声で使う声帯の幅を変えるものと
裏声の声帯の使い方から
ピッチを低くして緩めていく方法です。

一度指導してもらってその時練習したっきりの
地声の幅を変える練習方法は、
ピッチを同じにして声量を変えていくという方法です。
しかし、どうしても声量を絞っていくと
ピッチが上がってしまい難しいです。

ところで、時々裏声が出ないという人がいます。
しかしこれは、多くの場合、出ないのではなく、
出す機会がなかったという事、らしいです。
こう言われる人には、
よく子猫の鳴き真似をしてもらってます。
かわいい裏声になります。

目下、このミドルボイスの猛練習中です。


2014年5月17日土曜日

日々の15分から

帰国してほとんど英語を使う事がなかったので、
もしかしたらもうすっかり忘れているんじゃないかと
危惧していたのですが、
本当に…
先日、京都の講座に行って必要に迫られて英語で話していた時、
実感しました。

これはまずい…
このまま文献が読めなくなるのは、とても困ります。
読んだ方がいい本、読みたい本が、本棚に山のようにあるし、
声の最新も英文で読めないとツライです。

そこで、日々15分ほどの本読みを始めました。
遅々として進みませんが、
あやふやになっていく単語と格闘しながら読んでいると、
内容がわかってきて、少し安心感も生まれてきました。

早速読み始めたのが、シシリーベリーが前書きを書いている
クラスメイトのリーのお薦めだった‘Voice in modern theatre
というJacqueline Martinの本。
舞台での声についてギリシャ時代から現代まで西洋の俳優が
どう声を使ったかが書いてあるとても興味深い本です。

まだ、ギリシャ時代からローマ時代までしか進んでいませんが、
パラパラめくっていると、最近のセリフ廻しの話が出てきて、
文章の初めの言葉からしっかり音が聞こえるように(?!)
hの音を最初につけてセリフを言っていたという箇所を見つけました。
確かに!
年配の人がこういうセリフ廻しをしているのを聞いたことがあります。

やっぱり「舞台の声」も時代の流行というか、傾向があるんですね~

「日本では、3.11の後、
舞台でも癒される声が求められていると思う」
と、NYで出会った関東の女優さんに言われた事が

印象深く残っています。

2014年5月11日日曜日

シシリーのDVD「言葉が優勢でないところでは、暴力が蔓延る」

刑務所にボイスワークをしに行ったことで有名なのは、
ジュデイ・ディンチにボイスを教えたことで一躍有名人になった
パッツィ・ローデンバーグだが、
長年、ロイヤルシェークスピアカンパニーでボイスコ-チを
していたシシリー・ベリーのDVDを見ていたら、
彼女も刑務所で受刑者とシェークスピアのテキストワークをして
いたらしい...そうだったのかぁ。


またDVDには、彼女がブラジルのファベーラの劇団を訪れて、
ティーンズに演劇を教えているシーンがあった。
昨年、私が念願のシシリーの講座を受けた時も
毎月一度ブラジルに教えに行っていると言っていた。
もしかしたら、その活動をずっと続けているのかもしれない。


リオ・ディジャネイロのファベーラにあるその劇団は、
見上げるような坂道を上っていったところにあって...
しかし、子どもたちは素直でエネルギーがあって、とても
楽しそうにボイスワークをしていた。


あるシーンが印象に残った。一人の女の子がセリフをいう。
(ポルトガル語でのセリフだった)
まわりの人は素通りしていく、誰も自分の言っている事を聞いてくれない。
腕をとっても振り払われる、誰もが近寄ると逃げていく...
するとその女の子は、呼吸が早くなり、ピッチが高くなり、
やがて、その場に立ちすくんで泣きながらセリフを言った。
誰もが引き込まれた、迫真のシーンだった。彼女は、
あまりにもこの状況が、日常そのままだったからだという。
DVDでもそのリアリティは十分に伝わってきた。
そして、本当に厳しい現実の中で暮らしている彼らの生活を
垣間見た気がした。


ところでつくづく、
こんな感情の変化を舞台で演じられる俳優さんは本当に凄いと思う。
段々に変化していくセリフのテンポ、呼吸、音域など、他者の
反応ーこの場合、無視、無関心ということだが、を自分にいれながら、
変わっていった彼女の「本当」を「演技ー技術」でつくるという訳だから...
俳優という職業は、本当に凄い!











2014年5月5日月曜日

中原中也の詩から

GWは、2016年の公演準備のために、中也の詩をいつか練習していました。
これまで、どうも中也の詩は苦手で、あまりワークをしたことがなかったです。
「よごれつちまつた悲しみに」、「サーカス」、「生いたちの歌」、
「月夜の浜辺」、「夏」など代表作ばかり...

その中で印象的だった詩が、「一つのメルヘン」...
とっても宮沢賢治っぽいんです...
一時、賢治の作品を読んでいたらしいので、
もしかしたら、影響を受けて書いたのかも?と思わせる詩です。

もし、この詩を書いたのが賢治だったら、
「うん、うん、わかる~」というところが、
これを中也が書いていると思うと、なんだかこう、せつないです...
彼には、そのメルヘンの世界が、遠くて、手が届かいようで...
というのは、
私にとって、中也は、暗い心の闇を抱えた、
気怠い現代人の最先端...なんです。


「一つのメルヘン」

秋の夜は、はるか彼方に
小石ばかりの、河原があって
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。

陽といつても、まるで珪石か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。

……